ヒマラヤで感じた国民性

こんにちは。

イエティ探索家のye_tiです。

 

僕が遊牧民になる話は、着実に進んでいます。僕もだんだん、本当に遊牧民になってもいいかなという気持ちになってきています。とりあえず近いうちに(移動できるようになったら)、白内障の手術で休業中の遊牧民のお父さんの代理をしにいくことになりそうです。

 

去年、僕がはじめて放牧を手伝ったときには、みんな、僕には無理だろうと思っていたようです。僕は都会の人間であり、彼らの思う都会の人間とは、中国人の都市生活者です。

僕も中国人と一緒に山を登ったりの経験がありますが、チベットに旅行にいくような中国の若者は、ひょろひょろの僕から見ても、驚くほどに体力がありません。ムキムキの体力自慢みたいな人でも、すぐにフラフラになって、あきらめます。しかも、泣きそうな声を出したり、白目をむいて気絶しそうになったりします。そんなになる前に休憩したらいいのにと思うのですが、たぶん自分への言い訳としての体調が悪いアピールをしないといけない文化なんじゃないでしょうか。

とにかく、中国は体調不良を必要以上にまわりに見せ付ける文化のようです。僕も何度もそれを見て、はじめは心配していましたが、もう慣れました。

チベットに旅行に来るような中国人は、なに不自由なく育った一人っ子世代が多いので、とくに体力も根気もない人が多いのかもしれません。

都市生活者を中国人くらいしか見たことがない遊牧民たちは、僕が放牧を投げ出さないことを不思議に思っていたようです。

 

こういうとき、国民性の違いを感じます。

遊牧民は身体を使うことは得意ですが、知らないことは、すぐにあきらめてしまいます。たぶん中国の教育や中国のテレビ・インターネットからの影響もあると思います

僕はスラムダンクを見ていないけど「あきらめたらそこで試合終了」ということを、日本人の一般常識として知っています。「あきらめないこと」も、日本人らしさのひとつじゃないでしょうか。それが悪く働くことも少なくありませんが。

そして、あきらめずに継続すれば、才能がなくても、ある程度は上達するものだと思っています。