中国のカメラ事情 カメラか作品か
こんにちは。
イエティ探索家のye_tiです。
今日は、成都の中心街と人民公園という場所で、だらだらと散歩しつつ写真撮影の練習をしました。
日曜なので、公園や街の中心では、大きなカメラを提げた人をたびたび見かけました。まるで武漢肺炎なんてなかったような人の多さです。
中国はもともと趣味として写真を撮る人が少ない、というか趣味を持った人がきわめて少ないです。たぶん余裕がなかったことと、「金にならないこと」を極端に軽視する文化のためかと思います。
近年、お金持ちの文化的な道楽として、大きいカメラを振り回すことが定着しました。レンズ交換式のカメラを見せびらかすことが「お金がある、文化的、おしゃれ、芸術家風」というイメージの象徴のようになっているので、カメラを持っている人はケースなんかに入れずに、目立つように首から提げて歩きます。SNSの普及と、ちょっとしたブランド物みたいな扱いのために、若い人にも人気です。
それで、休日の中国で写真を撮っている人をよく見かけるのは、街の中心と公園です。人が多く集まる、見せびらかすことができる場所です。
公園で撮っている人は花か彼女を、街の中心で撮っている人は美女を盗撮していることが多いです。
美女を堂々と盗撮している人が多くて、意味がわからなくて人に聞いてみたことがあるのですが、ブランド物でかためた女性や露出の多い美女の写真をネットに無断でアップして、多く閲覧されるとお金が入るのだとか。街中ですごい大きい望遠レンズをつけた人がたくさんいますが、望遠レンズで盗撮してるだけと知ると、ちょっとがっかりします。
公園で撮ってるタイプの人はまともな人ですが、ふと思ったことがあります。この人たちは、花や彼女が撮りたくて立派なカメラを買ったのだろうか。
きっと、撮るものが決まっていない状態でカメラを買った人が多いのではないでしょうか。これは日本でも同じかもしれません。
僕は、撮りたいものがあってカメラに興味を持ちました。他の人から見たら、くだらないようなものです。
撮りたいものがなかったころの僕は、なんとなく綺麗なものを撮ってみて、上手くいったらfacebookやinstagramに上げていました。それで、写真ってそんなものだと思っていました。なんとなく対象物(被写体)があって、それを撮ってみる、という行為です。
撮りたいものができてから、僕が撮りたいのは被写体を写すような写真じゃなくて、空間を切り取って記憶するようなタイプの写真じゃないか、と考えるようになりました。
そう考えると、写真というのは人それぞれに撮り方というか思想が違って、入り口が違うのかもしれません。
カメラから入るか、成果物のイメージから入るかです。中国で見かけるのは、盗撮は成果物から、普通の人はカメラから入っているようです。
カメラが欲しくてすごく研究していたけど、僕が本当に欲しいのはカメラじゃなくて撮った作品だと気付いた一日でした。