追悼→マージャン 今日の中国

こんにちは。

イエティ捜索家のye_tiです。

 

今日は中国の清明節という祝日で、日本のお盆のような、祖先を祀る日でした。そこに合わせて、コロナでの死者を追悼するというイベントを急にぶち込んできました。

僕はいま中国の四川省成都に滞在中で(いたいわけじゃないけど)、朝10時ごろに街じゅうにサイレンが響き渡りました。昨日の時点で、今日の朝は音楽も流しちゃいけない、娯楽みたいなこと一切禁止、という通達を聞いていました。

 

もともと清明節は、血縁関係のある死者を弔う行事であり、死者全般に向けたものではありません。僕の見た限りでは、通達があったからこなしている、というだけに見えました。

中国では知らない人間の命の価値は軽く、真剣に追悼した人はほとんどいないんじゃないでしょうか。

午後には普通に音楽も流しはじめ、普通にマージャンしてる人もいます。病気の流行り始めの頃はマージャン机を壊して回ったニュースもあったし、人が集まると血相を変えて怒鳴られたものです。

 

日本のニュースを見たら、中国で追悼していることを報道していました。それで、ああこれは宣伝の一種だな、と悟りました。

生きてる人間の人権が無い国が、無くなった人を追悼する必要はありません。だから追悼そのものが目的ではないでしょう。

また、市民も、自然体で武漢人や湖北人を差別しています。反日教育でも有名なように、国を挙げて差別を推奨しているようなところがあるために、差別は普遍的なものです。時期によって矛先が変わります。

生きてる人間を差別しながら、亡くなった人は追悼。変です。

 

僕はチベットとかヒマラヤで、よく中国人が体調不良をアピールするのを見ます。

日本人や欧米人は、体調不良の際には地面にうずくまって自己管理するのですが、中国人はわめいて暴れて、最終的には気絶します(気絶したフリもありそう)。「こんなに辛い、こんなに苦労した」ということを、必要以上にアピールする文化なのだと思います。

また、儒教の影響か、地位の上下を明確にしたがります。「被害者」は基本的に加害者より地位が高いので、率先して被害者になりたがります。

病気の発生源の自覚があるからか、責められる前に自国が被害者であることを必死でアピールしているようです。

 

中国は「被害者」であるから、このニュースで批判的な外国人は減るかもしれないし、共産党に対して懐疑的な自国人を「不謹慎」と叩きやすくなります。

 

嘘っぽい追悼と、そのあと何事も無かったように生活に戻る中国人を見て、なんか嫌な気分になった一日でした。