ジャッキー・チェンとセルジュ・ゲンスブールと、年のとり方のはなし

こんにちは。

イエティ探索家のye_tiです。

 

香港の問題で、ジャッキー・チェンが国家安全法案の導入を支持する声明を出したようです。正確にはジャッキーを含む大勢の映画関係者のようですが、僕のような中国通(好きではない)なら見たことあるような名前が他にもあるものの、外国人がわかるような名前はジャッキーしかいません。

 

僕も小さい頃はジャッキーの映画が大好きでした。

ジャッキーの映画は善悪がはっきりしていて、ジャッキーは人格者ではないけれど常に善でした。プライベートでもたくさんの恋人を作って、人格者の反対の鑑みたいな生活だったようです。女性にだらしないとか失言が多いのは、ジャッキーのイメージどおりだから問題ありません。

でも、ここ10年くらいは、ニュースでジャッキーが出てくると必ず悪役です。

 

僕は中国で好きな芸能人を聞かれると、そもそも中国の芸能人に興味がないのでジャッキー・チェンと答えていました。ジャッキー・チェンモデルのスニーカー(ポンプフューリー)も履いていました(発売時は子供だったので古着屋で買った)。でも最近はジャッキーが好きと答えると、どこへ行っても反応が悪い。なので今では、好きな中国の映画スターはキョンシーと答えるようになりました。

 

僕が敬愛するセルジュ・ゲンスブールは、年を取ってもスタイルを貫きました。

ジャッキーは若い頃にとても格好いいスタイルを確立したのに、それを貫けませんでした。

年を取ったら大人にならないといけない、中国社会はそんな圧力が強くて、たとえばアニメなんかは「子供が見るもの」として下に見ているし、中国の子供向けのアニメは子供だまし感が強すぎて不快です。

 

大人と子供は連続したもので、どこかで突然大人に変わるわけではありません。僕は、現代の人間はいわゆる「大人」になる必要はないんじゃないかと思っています。

ゲンスブールみたいな年の取り方をしたい、そしてくわえ煙草でピアノを弾きたいです。最後の女か最後の煙草か、どちらかを選ばなくてはならないなら最後の煙草を選ぶ、捨てるときに楽だから。とか言いたい。煙草吸わないけど。